ハルビン

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哈爾濱

当時大戦中に、祖父は満州へ行きました。もち、自発的では有りませんが。。。 高知県在住なので始まりは高知県からスタートです。 当時は鉄道や国道が整備されておらず、日数は掛かります。 高知市内へ行き高松まで移動。岡山までは船で渡り山口県の下関市まで陸移動。そこから船で韓国の釜山へ行くまで2週間弱は経ってたそうです。 日本が敗北するまでは、相手のものを奪ってたので鉄道なども自由に使えました。帰属は中国や韓国のモノです。あくまでも。事実、敗戦あとは、満州在住の日本人は移動にとても苦渋の決断を毎日させられました。日本がしてたように各地で鹵獲を繰り返され旧関東軍は食料など物資全て奪われました。たんまりあったから旧ソ連に目の敵されたようやな。長い編成車両で積み荷してたと。まぁ。ソ連が皆悪い奴らではなく、祖父たち子供層に対しては食料くれた兵士も居たんだとさ。

鉄道使い中国のハルビンに向かいます。上海の方からすればなんで高層ビル群があるのと、不思議がられます。(よくDisられてます。)上海は教育費がバカ高くて問題になってます。そんな教育熱心な人たちだから地方や田舎をくさすのでしょうか。マナーが悪いからかな。 まぁ。ハルビンは、それくらい今は都市計画進んでる街です。今も昔も変わらず、ハルビンは大陸中の物は全て集まる賑やかな、そんな場所です。

終わりの始まり

祖父にはよく聞かされます。日本が先に韓国や中国に対して痛め付けたから、敗戦あとに蹂躙されたのは仕方なしと。当然言葉では表現することの出来ないやりきれない想いはあるでしょう。特に韓国は併合されてたし嫌日流になるのは分かるんです。じゃっど韓国は、韓国製品を韓国製とは言わず日本製かも?とか言いながら巧いことあの手この手で市場を日本で形成してんだから、少しは大人になってよとは思います、管理人は。日本もダブルスタンダードの国で朝鮮民主主義人民共和国に対しては、返してよとは言うくせに日本国内では子供の連れ去りを容認する裁判所判断に対して無策。連れ去った者勝ち尚且つ、婚姻費用の不正請求があとを絶たないダメな国、日本です。国内問題解決してから、請求しろとは言わないけど、それぢゃ誰も協力しないしトランプ政権が失敗したのは日本案件がお荷物なんぢゃねと割と真剣に考えてる管理人な訳です。 LINEアプリも韓国製だし、全身整形の老後骨折して歩けないんじゃね?ガチ勢が日本芸能市場を席巻してるよーに日本にも旨みを残さないとハブられるよ。だめ、ゼッタイ。 そのうち、中国人が韓国ズタボロにしたのと同じ韓国渡航禁止令出されるぞ、まぢで。中国人観光客のマナーの悪さはさることながら、一斉にされたら日本経済はまぢでオワコン。生鮮品や複合遺産に触れたり壊したり粗相したりする手癖の悪さは、デファクトスタンダードだから仕方ないんだよ。都市部と地方でもマナーの違いが有るから皆中国人はあーだこーだ云々とあんなヘンテコな悪いイメージ持たれるのは良く有りません。それは大変。 敗戦あとは、いわゆる日本人の居留地から外出する際は外出許可証が必携でした。それを忘れた義勇隊が自分で穴を掘って脳天打たれて埋められたっいう話。それから、武器を持ってたら殺されるから、武器を捨てたことや、鉄道で移動中に身ぐるみ剥がされたり、あとは、ハルビンはやはり大陸性気候。熱しやすく冷めやすい。底冷えする冬場があります。察しの良い読者はお分かりですね。そーなんです。凍傷です。指が凍って、パキンポキンと折れる奴ですね。凍ってるから、今度くっつけやすいじゃんとかバカなご託は考えないで下さいね。

そんな時間ないしそもそも日本はいわゆる難民状態が一定期間あった訳です。難民認定前は食料など配給は一切なし。ご飯がないまま、水も貰えないまま、移動を繰返しました。何のために移動してたかって言うと。人のためかな。少なくとも自分自身の為でない。中国軍や八路軍(あれ。八路は中国軍とは違うんだっけかな。ま、いいや。次いこー、次。)、旧ソ連軍は日本が終戦したあともドンパチしてました。後片付けですね。色んな軍施設の残骸とかのお掃除をしてました。早く作業すると別の街に大大移動強いられるから作業遅めで、なおかつ不自然なくこなしてました。 それから、当時は物資不足でした。靴などもなく、ずっくはあったのかな。(だけど度重なる遠征と時間の経過で磨耗、列損します)祖父の場合は布をぐるぐる足に巻き付けて移動したそうな。信じられないかもしれませんが、真っ白な雪がしんしんと降り積もった道を裸足で移動してた方もいらっしゃったのです。足の指はなくなり、痛みなど感覚もおかしくなり、酷い人は大腿までなくす人もいました。凍傷ってまぢ怖いんです。亡霊戦士とかのおばけより怖い。 ソ連は、管理人は嫌いなんだけどロシアは好きなんだ。変わってるんだ。じゃっど細菌研究してた科学者どもはグローバルの波に乗ってバラけたかんね。いつもロシアは不可侵とかの約束破る。並びに物資が少ない中でも、技術は凄い。日本からの輸入されたポンコツ飛行機を改良して少ないジェット燃料で飛行時間や距離を伸ばすなど目を見張るものがあります。唯、モノ作りの現場では日本製メーカのお車作ったりもしてるから、一概には言えないんだけど。取捨選択してんのかね。 バラけた研究者はどこで悪いことしてるのやら。。。

帰還

祖父は幸い、せっけん工場の経営者に養ってもらいました。せっけんの仕事はしなかったけどハルビンはとても広く切り拓かれた場所です。当時は大農場や牧畜も盛んでした。その経営者も例外なく手広く経営されてまして、祖父は育てた野菜売りの仕事をしました。中国語は、仕事中に見様見真似で覚えたと。野菜畑、祖父とは因縁がありまして。中国人経営者に育てられる以前は野菜とか盗んで居留地に戻るということを繰り返してました。当時は八路、中国、旧ソ連などお盛んでしたから、見張りが厳しく厳戒体制の最中盗ります。連装銃で足元を打たれ死ぬ者も多数。だけど食べないと死ぬ。サイレンサー迄はいかなくとも当時の銃は祖父にとっては悪魔兵器だったと思います。 夏場は死体を埋めれたけど冬場は地面が固くて掘れなくて重ねて燃やしたと当時を振り返ります。1972年に中国と国交正常化するまで沢山の無縁仏がいたのだと、そう思います。(イエスのおっさんは誕生年が紀元前4世紀ごろとか諸説あるのでほんとの西暦は?) B.C.4cで良いじゃんとは思うんだけどね。上の世代が覚え直すの大変だから、現行のまま、通すというのは好きじゃないな。管理人は。 イエスの言葉では迷言があるんだ、あるんだ。 「右の頬を殴られたら左の頬を差し出せ」
  1. 右手で殴る
  2. 左頬に当たる
  3. あ。レフティじゃなかった!!
  4. もう一度殴る。
  5. 利き手じゃないから当たらない。
  6. 泣く。
  7. 洪水になる。
  8. ノアの方舟に乗る。
コラ。てな訳あるか。 気を取り直して、、、ぱーと2♪
  1. 右の裏拳で殴る
  2. 右頬に当たる
  3. 相手怯まず微笑んでる恐怖。
  4. 左頬が迫る。
  5. く。躱せない。
  6. 対等に握手されはる屈辱。
  7. どげんかせんといかん
  8. そうだ。方舟…。
コラ、そこの管理人。方舟に逃げるな。方舟は余計だ。方舟はバベルの搭だよ。因みに。バベルはバビロンの事で混乱を意味します。 上の解釈はハーバードの愉しい考え方なそうな。暇人が良く考えなさった。ありがたやありがたや。ご指導ご鞭撻のほど云々ですね。ったく。 心の底冷えには、ウイスキーが良いんスよね。 旧ソ連軍の施設を掃除するときにいくつかパクって昼間から酔っぱらう掃除夫が沢山居たらしい。もちろん、明日の希望をなくして自発的に自殺する方も大勢いらっしゃっいました。昔は井戸に入水とか、何万人という規模の満州出兵でしたから、何時如何なる時も想定して皆、シアン化カリウム(青酸カリ)渡されてましたからそれ服毒する人もいてはりました。 確かに、南は全滅だったけど、北は生きる希望を抱くことの尊さを教えられます。結構大柄な人が小柄な人より亡くなってるイメージを管理人は個人的に持ちました。祖父が当時13、14程で義勇隊にはならなかった年齢でした。 義勇隊は20歳未満の高校生らへんかな。今で言うところの。20から徴兵されましたから、当時は。本土決戦の人柱要因です。少しでも肉壁作って本土決戦を遅延させるのが目的でした。管理人はめちゃくちゃ口が悪い。だってさ、本当だもん。義勇の名の元の強制徴兵だもん。悪いことしか起きないよ。アメ公はアメ公でパールハーバーを忘れるなってどの口が言ってんだよ。アメリカ軍は殆ど移民の構成員だかんね。アメリカの市民権手に入れたいが為に戦争に参加さしてんの。一つのビジネスモデルだと思うわ。管理人は。因みに日系移民も大戦中に欧州でドンパチさせられて多大な犠牲を払いました。アメリカはそうゆう国です。我が鬼畜度、年月の度に衰えずってさ。これ、知ってる人は知って欲しい。シャーロックです。ホームズのファーストネーム。兄貴でマイクロフト=ホームズが居てはるから、呼び方はシャーロック派ですね。管理人は。ベイカー街221Bですね。今は跡地しかないけど実業家男性がシャーロックの博物館こしらえて此処が221Bだと主張してんのは草生えました。17段の階段が作中作品で有るだろが主張の根拠らしい。うんうん、分かるよ。一定の理解は示そうか。 シャーロック作品では帰還という作品があります。シャーロックホームズの帰還という短編集ですね。管理人は、シャーロキアンではなくG.K.チェスタトン派です。木曜の男が面白い。あぁゆうファンタジーが好きなんだ。あれ。怪奇クラブ読んでないことを思い出した。10年越しぐらいに。これ、あかんやつや。

養父

祖父は昔から働き者です。今は87で昼間はしっかりしてるけど夜ボケます。しかし、刃物類使わせたら凄い。絶対にケガしないもんな。 てな訳で何度か中国人経営者から養子にならないか再三言われました。だけど家族が居たから戻ることに決めました。祖父としても、心残りでは、あった様子でした。そこはやっぱりパラレルワールドの考えだかんね。そうして船で死屍累々の大陸から晴れて日本へ帰郷。 日本に戻る数日前に、経営者は祖父の為に靴や洋服、防寒着や旅先で必要なもの一式買いに出掛けて、祖父の帰還が早まった為に結局会えず仕舞いだったと聞きます。祖父は中国人に対してとても感謝していました。お昼御飯も沢山食べさせていただき、特に餃子や焼売などが美味しかったと。最初の頃は、数日間食べてない細った胃に食べろ。食べないと追い出すとか言われてたからキツかったみたいでしたが。 もしかしたら、中国人が祖父の養父になっていたのかなと、遠いハルビンに思いを馳せる。


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